今日、希望のタネを蒔きました

療育現場の所長日記です。

何とかレンジャー…

最近、ちょっとした大きなスーパーには「フードコート」があります。
フードコートならば、ラーメン、ハンバーガー、たこ焼きなど、一緒に行った人の食べたいものが違っても大丈夫です。

ある日、買い物の途中にちょっと立ち寄ろうかな?と思いましたが、誰かに会った際、笑顔を作るのもしんどいくらい疲れていたので、その日は、階下のカフェを利用することにしました。

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いつもより混雑していたカフェで何とか席を見つけ、コーヒーカップを持った瞬間!

 ▽✕◇♪▼□◎〇●~!!!

隣のイベントコーナーで〇〇レンジャーショーが始まりました。
すごい音量の音楽、かなりキーキーした(いや、高音の)司会のお姉さんの声が響き渡ります。また「じゃあみんなで、✕✕マン(敵)をやっつけるよ!みんなのパワーをかしてね!お姉さんの声に合わせて○○って、言ってみよー!いくよ〜!△△〜!」と言った子どもの掛け声?へのあおり(いや、誘導)が始まり、暴走族も顔負けの騒音状態
カフェで休憩は夢と消えました(´;ω;`)。
その場にいたお客さんたちを見ると、苦笑いする人、明らかに嫌そうな顔をして席を立つ人、店員さんにクレームをつける人など様々・・・。

 

私は毎日、大勢の子どもたちと同じ空間で生活しています。そこでは、子どもの笑い声、泣き声の他、ピアノや楽器の音も聞こえてきますので、それなりに大きな音には慣れているつもりです。その私が耐え難いと感じた「騒音」ですから、普段、あまり大きな音に慣れていない方々には、しんどい時間だったかもしれません。

昨今、幼稚園や保育園、除夜の鐘などの騒音問題に対して、いろいろな対策がとられています。その反面、「子どもの声をうるさいととらえるのは、心がせまい。」とか「伝統文化の除夜の鐘に対して、うるさいとはけしからん!」という感情的な意見が出ることもあります。どちらの意見が正しいかという議論より、どんな理由があれ、相手にとっては「騒音」であるという認識は必要だと思います。

追伸
まあどんなに短時間であっても、人を不快にさせるほどの「騒音」はいけません。
例え、それが子どもを楽しませるためのイベントであっても…。

ステキなプロフィール!?

先日、とある場所に出張していました。
本来、大嫌いな車の運転は避けたいところ(泣)。
でも公共交通機関がないという、この時代にしてはめずらしい陸の孤島が会場ということで、ナビをフル活用して出かけてみました。

まずは食事を・・・と思ったものの、目ぼしい店はありません。
慣れない場所でウロウロするより、とにかく食べることを優先し、たまたま目についたカフェに入ってみました。

ところが・・・
何か雰囲気が違います。
車から降りる時、リードをつかんでいる人がいました。リードの先には、大きさ、色、種類も様々なワンちゃん(*_*;!
食べる場所は違えど、ワンちゃんたちは優雅に店内を闊歩しており、誰も咎める人はおりません。
ギャー!!!と思ったものの、オーダーを済ませた後ですし、もう店を出たり探したりする気力もなかったので、とにかく出てきたものを口に押し込み、そのドッグカフェから逃げ出しました(´;ω;`)。

この話をすると、みなさん「えっ、先生はペット苦手なんですか?」という意外な反応です。そういえば、表立って犬猫が苦手だと言う話はしていなかったなあ・・・。

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「言葉」には、人を表すイメージが含まれています。
例えば、自己紹介の欄に書かれたプロフィールで「動物が好き」と書かれていると、その人物に対して何となく優しそうなイメージを抱きますし、「休日はお友達と映画鑑賞やカフェ巡りをするのが趣味です。」と「休みの日は、コンビニ限定のスナック菓子を片手に、アマゾンプライムを楽しみます。」というのでは、印象が異なります。

私が「動物苦手!」と表明しにくい背景には、無意識のうちに、「優しくない人」と思われたくない気持ちがあるのかもしれない…。ドッグカフェの一件からずっとそんなことを考えています。

あなたが私にくれたもの~♪

ティファニーの水色の箱があふれたバブル期のクリスマスが随分、昔に感じられるようになりました。

昨年のクリスマスイブの話・・・。
とあるお店でオーナーさんに「今日はクリスマスイブですよ。こんな所にいていいんですか?」と言われたものの、その時はすっかり気分がよくなり、「だいじょ~ぶですぅ~」とご機嫌で過ごしていました。

今日は先生へのプレゼントです。10分延長しますね!
なんと!?
ガチガチの肩にオイルマッサージの延長サービスは最高でした(涙)。

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ルンルンで帰り着き、ポストを覗くと角2サイズの茶封筒が入っています。
研修会の案内状?と思い封を切ると、入っていたのは大好きなタキシードサムのクリスマスカードでした!20曲のクリスマスメドレーが入った、高価なカードをクリスマス合わせて送ってくださる方がいることを、心からうれしく思いました(涙)。

年を重ねると、アクセサリーや洋服などの形に残るものよりも「心に残るもの」が欲しくなります。指輪やネックレスに心がこもっていないわけではありませんが、相手のことを想い、選ぶことに時間をかけたプレゼントには価値がある・・・。

プレゼントは、相手の顔を思い浮かべ、心に届くような物を選びたいと思います。

詠み人知らず④

#休日
連休だ 初日はとにかく眠ります
二日目三日目 同じくゴロゴロ

#油断大敵
それ聞いた あれも知ってる これ当然…
思った時が 一番危険

#プレゼント
クリスマス チキンもケーキもいりません
考えなくてもよい日がほしい

#深読み
初もうで おせちが並ぶ食卓を
わざわざアピール 真意はどこに?

#初売り
福袋 ほんとは得か損なのか
判断鈍らす 店舗の戦略

#思い込み
讃岐なら 餡もち雑煮食べるでしょ?
いまだ口にも 入れたことなし(笑)

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

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親が子どもに望むこと

◯◯ができるように…
△△で困らないように…
✕✕にならないように…

親は子どもにいろいろな思いを抱き、育てていますが、時にはそれが過剰な期待につながることがあります。
子どもによっては、親の期待を背負いきれず、息切れしたり、ニュース界隈を騒がせる悲しい事件につながったりするケースがあることも否定できません。
そのような事例を見聞きするたび、子育ての難しさ、親子の間にある意識の隔たりを考えさせられます。
前回の記事同様、私も明確な答えは出せていないのですが、ずっと昔のドラマにあったセリフ…

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親が子どもに願うことはただ一つ、
自分より、幸せな人生を生きてほしいということだけかもしれません。

そのとき、自分なら…① 〜子どもの障害受容〜

この手のテーマには、いろいろな考え方があり、いろいろな立場の方がおられます。
研修会等に行くと、声を大にして「どんな子どもでも受け入れてこそ親」という意味のことを言われる専門家もいらっしゃいます。

専門家による理想論ならともかく、障害をもつ子どもの保護者に明言されると、「あのお母さんは、お子さんの障害を含めて、子どもさんを受け止めていらっしゃる。できない私は鬼なのでしょうか?」と泣きながら訴えられる方もいて、なんとも言えない気持ちになるのです。

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私自身は、たくさんの子どもたちや保護者の方と、関わらせていただく立場になっても、このテーマに対する明確な信念をもつことはできません。障害の様相やサポート環境、保護者のパーソナリティ、時間軸によっても状況は異なり、答えを出すことが難しい…。

でも、もし、私にひとつだけ言えることがあるとすれば、

「わが子の障害を受け入れられない親は鬼」だとは思わない・・・ということでしょうか。

詠み人知らず③

#遅刻!?
寒い朝 立ったままで かじるパン
どこにまわそう ういた時間を 

#園庭にて
見ていてね 縄跳び回す 子どもたち
四月の号泣 遠い昔に

#ある日の16時55分
ルルルルが 耳にささる 呼び出し音
定時帰り あきらめる瞬間(とき)

#迷う
海渡る 日帰りできない こともない
朝は眠いが 泊りもしんどい

#知能 / 発達検査
これだけで わかることは 少ないよ
それでも強し 数字の力

#母の誕生日
親孝行 生きてるうちに お願いね
思い出して アマゾンポチリ

#あれから・・・
今はまだ 忘れられない あの涙
それでも信じる あなたの選択 

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