東京の空の下に住む○○さんへ
お誕生日、おめでとうございます。
今日、偶然にもチーズケーキの板チョコレートをいただきました。
あの頃は、本当にめずらしい一品でしたが、今は巷にあふれていますね。
当時の画像(下記)を見ると、時の流れを感じます。
あのチョコレートと一緒に、私に投げかけられた問い、
ずっと答えられずにいましたが、
正答か否かはともかく、
今ならば答えられるような気がしています。
今度、お会いするのが楽しみです。
その時まで、どうぞお元気で。
2016年7月6日
彦星と織り姫が1年に1度、再会できる日が近づいてきました。幼稚園の子どもたちは、笹飾りをつけています。短冊には「サッカーがうまくなりますように」、「好き嫌いが治りますように」「お友達がたくさんできますように」「プリキュアになれますように」「○○のおもちゃがほしいです」といったものもあり、楽しく読ませてもらいました。
「先生、ぼくは△△書いたよ!」「私はね、~って書いたの!」とお話ししてくれる子どもたちに「先生は、何の願い事をかくの?」と話しを振られ、私の願い事は何だろう?と少し真剣に考えてしまいました。欲しいものは特になし、あえて言えば、今の平和な状態が続いてほしいということくらいですが、お釈迦様自身が「変わるものを変わらせまいとするのは無理な願いだ」と言っているくらいですから、それは難しいのかもしれません。
そういえばある日、Sちゃんと砂場あそびをしていたときのこと・・・。たくさんのケーキやクッキーができ、お店屋さんごっこをしようとした矢先、いきなりやってきたTちゃんがそれらを崩してしまったのです。
一寸先は何とやら、砂場遊びでさえ、予定通りにはいきません。まさに同じ状態は続かない、変わるものを変わらせまいとするのは無理な願いだという、お釈迦様の言葉を再現するひとコマでした。
ちなみに、「あー!」と残念そうな表情の私に対してSちゃんはとても冷静で、「また作ればいいじゃない」と言いながら、型抜きカップを渡してくれました(笑)。
七夕の夜、みんなの願いが届きますように。
私の願い・・・いろいろな失敗やつまずきがあったとしても「また作ればいいじゃない」と言える自分になれますように。
何でこんなにあるのかしら???
持ち帰った教材作成の手を休め・・・
主任先生、集団になじみにくい子どもたちのために、子育てひろばを企画してくださり、ありがとうございました。
M先生、子育てひろばで使う巨大玉転しを組み立てていただき、ありがとうございました。
I先生、初めての場所で不安いっぱいの子どもたちを温かく見守ってくださり、ありがとうございました。
くまこ先生、保護者の方々が無理なく交流できるように、教材コーナーを用意してくださり、ありがとうございました。
3歳児クラスの先生たち、こぼしてしまったスープの補充をありがとうございました。
ピンキー先生、支援センターを夏模様に変身させるため、たくさんのひまわりを作っていただき、ありがとうございました。
K先生、私の思いを共有してくださり、ありがとうございました。
B先生、さりげなく手のひらにのせてくださった疲れを癒すビスケット、ありがとうございました。
幼稚園のお友達、思わぬ発見とたくさんの大好き!をありがとうございました。
支援センターのお友達、希望のタネのふくらみをありがとうございました。
今日もたくさんの「ありがとう」に感謝です。
あるショットバーでの話。近戸類(こんど・るい:40歳男性、ちょっとダンディーな今で言うチョイワル系?)と島馬男(しま・うまお:21歳、さわやか系の今で言う草食系男児?)は、来週末に迫った「集会」についてミーティングをしていました。
「なあ島。もう少しメンバー、集められないか?」
「無理っすね。土曜の夜はバイト、入っている奴が多くて・・・。」
(近戸、ちょっと、キレ気味・・・)
「伝統ある情可悪(ジョーカーと読むらしい)の集会とどっちが大事なんだ!?」
「近戸さん、時代が違いますよ。何があっても『走り優先』って、昭和の話。」
(近戸、やや悲しそうにため息)
「まあいいや。それで、揃いのツナギはできたか?」
「ツナギ!?ああ、あのダッサイ特攻服のこと?『夜露死苦(よろしく)』とか『咲かせて見せます○○・・・』って書いた?」
「ダ、ださい???」
「あんな昭和の遺物なんか・・。通気性悪いし、窮屈だし、そのくせバカ高い刺繍代かかるし。」
「おまえ、情可悪の頭だろ?もっとチームを・・・」
(近戸が言い終わる前に・・・)
「だいたい情可悪かなんか知らないけど、うちのチーム、そんな名前はないし、オレ、リーダーじゃないっす。走りたいやつが走りたいときに集まって走る。チーム名つけて集まったり、あんな運動会の学級旗もどきのチーム名入りの旗振りかざしたりしたら、警察に目つけられるし・・・。」
「はああ?????」
「あっ、次の集会の件ですけど、SNSありますから大丈夫です。これで呼びかけたら走りたいやつ、集まるはずですから(ニコッとしたさわやかスマイル)。」
数日後、同じショットバーで近戸は、伊谷氏益(いやし・ます:35歳、現在はサラリーマン)とグラスを傾けていました。
「近戸さん、聞きましたよ。島とかなり派手にやりあったらしいじゃないですか。」
「情報、早いな。あんまりふざけたこと言うから、ちょっと強めの言っただけさ。」
「島のやつ、近戸さんに言われたこと、Twitterでつぶやいたもんだから(笑)」
「あいつ、バカか!?」
「まあ、いわゆるゆとり世代ですからね・・・。」
(近戸、グラスを左右に振り、ウイスキーと氷を混ぜながら)
「なあ、伊谷氏・・・。時代が変わるってこういうことなのかなあ。」
「どうなんでしょう・・・。ただ確実に時間は流れています。2004年に道交法(道路交通法)が改正されたでしょ。あれから族への締め付けはぐっと厳しくなった。不況でバイクも手に入れにくくなったし、そもそも最近は走ることどころか、車に魅力を感じない若い者も増えています。」
「オレの青春は、とにかく大切なものは『仲間』だった。チームの先輩はおっかない存在だったけど、何があっても守ってくれたし、親や学校の教師にはわかってもらえなくてもチームの中では受け入れてもらえた。自分が頭になったときは、同じように後輩を守ってきたつもりだ。」
「最近は、親も教師も物分かりいいんですよ。人権、人権ってやたらうるさいし、体罰なんて加えようものなら、たちまち通報されたり、教育委員会がさわいだりしはじめますからね。今の若いのは、そういう意味では恵まれていて、仲間だのチームの連帯感だのは重視しない。チームの厳しい上下関係に耐えることや、チームの掟にしばられることは、島の世代にはなじまないんじゃないですかね。」
何も言えない近戸を見ないように、伊谷氏はグラスの中身を飲み干しました。そして独り言のようにつぶやきます。
「まあ、それとは引き換えに、オレらの時代にあった大切な何か・・・はなくしてしまったかもしれませんが・・・」
to be continued・・・
「Aさんが亡くなった。」
と風の便りに聞いたのは昨日。Aさんとはもう20年以上、会っていないのですが、今でも私の心に残る素敵なお母さんの一人です。
詳しい話は省略しますが、当時、私はAさんから高校生の子どもさんの進学について相談を受けていました。いつの時代も進路決定にはいろいろな要素があります。まずは当事者の意思、家族(特に親)の思い、能力、そしてお金。これらの条件を合わせて、最後の決断を下さなければなりません。
ある日、進路について迷う娘さんを前に、Aさんは私にこう話し始めました。
「先生、この子が行きたい道に進めるよう、力を貸してください。」と。
彼女は続けてこうも言いました。
「先生、うちには大した財産はないから、よその家とは違って、この子に遺せるものはほとんどないでしょう。」
そんな謙遜を・・・と言いかける私に、
「だから、この子には教育をつけてやりたい。家計は苦しいけれど、私が元気で働いているうちは何とか回せます。私がこの子にしてやれることは教育しかありません。」
その後、Aさんの娘さんは進学し、ある資格を取って就職、その職場からは「よい人に来てもらえてよかった。」という上司の声も聞こえてきました。Aさんが娘さんに遺した「教育」は、一応、実を結んだと言えるでしょう。
Aさんを想うとき、親の役割は何かということを考えさせられます。順当に行けば、親は子どもの一生を最期まで目にすることはできません。どんなに心残りでも、この世に愛しい我が子を残して旅立たなければならない時がきます。
そのとき・・・子どもが路頭に迷わずに生きていくためには何が必要ですか?
そのために・・・親は何ができますか?
ここは観賞魚の世界。人々の心を癒すことをモットーに、熱帯魚や金魚たちで構成されたアクア株式会社の社員は今日もお仕事にいそしんでいます。特にピンポンパール部門のみなさんは、まんまるな体とその愛嬌が特色でオフィスも和気あいあいとした雰囲気です。
でもよく見てみると・・・。
大きな口で平然と報酬を口にするボスピンポン。ボスを擁護するホワイト主任。それに対して、「ちょっと、のいてよ!」とばかりにタックルする姫香ちゃん。彼女はこの会社の中では一番小さく、かわいくおしとやかな姿をしていますが、見かけに騙されてはいけません。小さいながらもチャレンジャーで素早い動きをするのです。
しばらくすると・・・。
もっとしばらくすると・・・。
時は流れ、時勢は変わります。姫香ちゃん、今後のあなたの活躍が楽しみです。
この手の本を開くと、とても親切に保護者対応の方法が書かれています。事例をあげて、こんな対応が◯、こんな言い方は×、保護者はこういう風に言われたら辛い、うれしい!などなど。この通りにできれば、先生も保護者も子どももみんなハッピーのはず…なのですが(苦笑)。
この手のマニュアルの落とし穴は、相手の見えない気持ちの見落としです。現在の心理学は相手の表情や行動など、評価しやすい部分に注目しているせいか、カウンセリングの流れさえ、ああ言えばこう言う、こんな事例にはこんな風に答えるというように、マニュアル化しようとする傾向があります。でも実は、辛くても表情には出さない人もいますし、悲しくても声のトーンが変わらない人もいます。何より、時間の経過とともに何とも言い難い不安や不快な気持ちが湧いてくる方もいらっしゃいます。
だからこそ、相手にとってあまりうれしくない話をする場合、伝える技術よりも、その揺れる気持ちに付き合い続ける覚悟が必要な気がします。
ある詠み人知らずの一句…
今日もまた 答えの出ないため息を つづったノートに そっとため息