今日、希望のタネを蒔きました

療育現場の所長日記です。

とかくこの世は住みにくい ②

台風の季節が続いています。

こんな時は体調を崩したり、物ごとが停滞したり、普段なら気にならないような些細なことに心が騒いだり・・・という方もいらっしゃるのではないでしょうか。

私自身もさすがに、不摂生な生活が続いていることを反省し、少し前からグリーンスムージーを始めました。

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葉物野菜と生フルーツってどんな味?と少々不安でしたが、意外と普通に飲めるので、最近ではいろいろなフレーバーを開拓することが楽しみになりました。

さらにあのミキサーの回転を見ていると、悩みや嫌なこと自体がミキシングされていくような気がして、ストレス解消になります(笑)。  

f:id:ashikatan:20161006002506j:plain今話題になっている某ブログの方には叱られるかもしれませんが、誰しも生きているのがしんどいなあと思うときがあります。特に相手(親、夫婦、子ども、友人、ご近所さん、嫁姑、職場の人、恋人など)があることは、自分ではどうしようもありません。今のように気候が悪いと、もやもやイライラにダブルパンチで、心身ともに不調をきたす人がいても不思議ではないのです。

ストレス解消の方法は人によって異なりますが、

「辛いこと、いやなこと、煩わしい日常をミキサーでスムージーにしよう大作戦!」

健康にもよいこの方法、おすすめです。

迷い

以前から感じていた違和感は、この赤の財布が原因では?と思い始めたのは数日前。
本来、黒、紺、茶が基本で、チェック柄とリボンがトレンドの私にとって、今使っている財布は違う!という結論に至り、思い切って買い替えることにしました。

お店に入って気づいたのは、今の季節・・・。
昔から春に財布を買うと「財布が張る(はる)」、秋に買うと「財布が空き(あき)」と言われています。縁起をかつぐわけではありませんが、迷っていたその時、間髪入れず聞こえてきたのはコマーシャルのアナウンス、「秋はお財布購入のチャンスです。「実りの秋」にちなんでお金がしっかり貯まります 云々・・・」

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確かこのお店、春に来たときは「春はお財布購入の季節です・・・」と言っていたような気がしますが(笑)。


事の真相はよくわかりませんが、どちらともとれるようなことに関して、どちらに決めるのか、結局は本人に委ねられています。難しいのはどちらを選択しても後にならないと、自分の選択が正しかったかどうかはわからないということ。
財布の購入くらいならまだしも、まだはっきりと「障害」という名がつかない幼い子どもに「療育」を受けさせるか否か、よく見られる下記の2つの意見に対して、その選択は難しいと思います。

 「子どもの問題(障害)は早期に発見して、早期に療育することで軽減されます。」


「あまりに早すぎる問題(障害)の診断は、子どもへのレッテル貼りでしかありません。子どもの発達を信じて様子をみましょう。」

立場的には前者の姿勢を取りつつも、私自身、完全に後者の意見を否定する勇気はありません。だからこそせめて、勇気を出して療育センターの門を叩いてくれた保護者や子どもたちを、笑顔で迎え、できることを一緒に考えていく、一緒に悩み、一緒に喜ぶ姿勢だけは大切にしたいと思う今日この頃です。

 追伸

ちなみに秋に購入した私の財布、今のところ「実り」はないようです。やっぱり、「秋」は「空く」のかなあ(泣)。

とかくこの世は住みにくい…

保育者養成校の学生さんが就職シーズンを迎えています。またまたよくある質問は、

「先生、どこの園が良いの?」

逆に聞きたい!「『良い』って何が?」

でも保育業界に就職を希望する学生さんは、だいたいどこも同じような待遇(給料、休暇、多忙さなど)であることは知っています。その時点で「こんな業界は無理!」という方は、そもそも保育現場への就職は考えません。
だから彼らが「どこの園が良い?」と聞くときの「良い」は9割ほどは「人間関係」のことを指しています。

そう言えば、最近、Facebookの広告の一部にこんなものがよく掲載されていますが、ご存じでしょうか?

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わざわざキャッチフレーズにするくらいですから、求職者にとって、職場選びの条件として人間関係の良し悪しは大きなウェイトを占めているのだと思われます。しかし人間関係良好の園があるとして、どうやって「厳選」するのか、機会があれば聞いてみたいなあ(笑)。

支援センターで3歳児の子どもたちがブロック遊びをしたときのことです。ひたすら高くしたい子、くるくる回る観覧車が作りたかった子、工事現場の車両にしたい子・・・。みんなの思いはそれぞれで、限られた数のブロックをめぐって、時には強い口調も飛び出します。

f:id:ashikatan:20160919232556j:plain「Aちゃんがままごと行ったらいい!」と言うB。

Aちゃんはふらりとままごとコーナーに移動しました。

次にCはAちゃんの作ったものを自分の作品にくっつけました。
「Cちゃん、ずるい!」と怒るB。
それからも人が入ったり出て行ったり・・・ブロック遊びの人間関係はどんどん複雑化していきます。

子どもの世界でも人間関係は複雑です。
「あの人さえいなければ!」と思う人がいる・・・。
でもその「あの人」がいなくなっても、また別の人が目障りになってくるのはよくある話です。

その逃げることができない「関係」の中で、どうやって折り合いをつけるのか・・・。多分、紀元前の昔から人類が抱えている永遠のテーマです。

「あなたが犯人だったのね!」の名所に思う。

先日、フジテレビで「あなたなのね、あなたが犯人だったのね!」の名所が取り上げられていました。推理ドラマなどで最後の犯人が明らかになり、殺人の動機と経過が語り出される場面を、誰しも一度は目にしたことがあると思います。

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 「○○グルメツアー殺人事件~△△の愛憎が舞う××海」などで、よく用いられる東尋坊。この地はドラマだけでなく、自殺の名所としても有名です。ところが、ある時期からここでの自殺がめっきり減ったとか・・・。

その理由は今年の夏に配信開始されたポケモンGO! レアポケモンが現地に出現するといううわさが流れ、多くの人が訪れているそうです。

自殺防止のパトロールを行っているNPO法人の代表は、「ポケモンプレーヤーの姿を見て考え、思い直す機会になるのでは。」説明していました。


そう言えば、8月下旬に「自殺予防週間(9月10日からの1週間)に合わせて相談窓口を周知するカードを作成したので配布してください」という文面のメールが関係機関から届いていましたが、もしかするとこれよりはポケモン配置の方が効果あり?という失礼なことも考えながら、東尋坊のニュースを見ていました。

日本の自殺者数は、平成10年から連続14年で年間30,000人を超えていました(警察庁「自殺統計」より)。これは年間に交通事故で死亡する人の数倍とも言われています。この数は平成24年から減少し始めましたが、依然、年間20,000人後半数で推移しており、まだまだ自ら命を絶つ人の数は少なくないと思われます。

私が出会った数少ない自死の例について、誤解を恐れずに言えば、彼らは死に際に隙がなく、確実に命を絶つ方法を選んでいました。24時間拘束すれば話は別ですが、短期間ならともかく長期にわたってのそれは不可能です。WHOは「自殺はその多くが防ぐことのできる社会的問題」という見解を出していますが、人が本気で死ぬことを望んだら阻止するのは容易ではありません。


「死にたい→死のう」という気持ちは生きていたら誰しもが抱く思いです。
その思いを「死ぬんだ!」という決意につなげないためのストッパーは何か?
そんなことを考える自殺予防週間です。

追伸:お写真をいただき、ありがとうございました。私も一度は行ってみたいです。

教師にだけはなりません⁉︎ ②

保育者養成校では「保育・教育実習」があります。
私は実習該当学年を担当していないのですが、その時期になると、学生が私を見つけては「せんせ~、この髪の色、アウト?」と口々に聞いてきます。
あきらかな茶パツはさすがにいませんが、赤いといえば赤い?という学生に多い気がします。
実習指導では「髪の変色は不可、黒髪で行きなさい。」と指導されるので、現場の私がどのように判断するのかが気になるのでしょう。
正直、このくらいなら・・・と思わないではありませんが、聞かれたら一応「黒にしなさい。」と言うことに決めています。


実はこの「これくらい・・・」が曲者(笑)!
光の加減や何より見る人によっては「赤い」と判断されかねないので、万が一のことを考えて「絶対、黒」と指導するのです。
また、教育現場はよくも悪くも「平等」が基本です。AちゃんはOK、Bちゃんはだめ、C先生はOKと言ったのにD先生はだめと言った・・・ということには、皆さん、かなり敏感です。

 

学生対応だけでなく、さまざまな場面で個別のかかわりをしなくてはと思いつつ、いろいろなリスクを考えると、つい画一的な対応になりがちな私。

ごめんね、Sちゃん。
今の私は、いつかあなたが「絶対になりたくない」と思っていた教師像そのものであると自覚しています。

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教師にだけはなりません!?

私の将来の夢は、教育や子ども関係の仕事に就くことです。

今はいじめや登校拒否(当時の呼称)、校内暴力が多く、教育現場が混乱しています。大人はいつも「子どもが先生の言うことを聞かないから」と言いますが、本当にそれが理由なのでしょうか?

前髪が眉毛につくと職員室に呼び出して切る、指定のバッグ以外に体操服を入れてきたら没収する、先生の気に入らないことを言ったら殴るということを日常に行っている学校に問題はないのでしょうか?

だから私は、教育関係の分野では働きたいけど、教師にだけは絶対になりません。学校という世界で、私の考えは通用しないと思うので、教育評論家になって学校の問題を外から考えてみたいと思います(原文のまま)。

 

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これは当時、中学生だったSちゃんが将来の夢について書いた作文です。

彼女が中学生だった頃は、「校則絶対主義」の最盛期。その背景としては、いろいろなことが示唆されていますが、特に大きかったのは校内暴力をはじめ「荒れる学校」の制圧だったと言われています。当時の保護者は、教師の言うことが多少過激でも聞き入れており、クレームをつけるということは少ない時代でした。そのため、ある学校では女子の水泳大会のズル休みを防ぐために、「生理だから休みたい」と申し出てきた生徒をトイレに呼び、担任の女性教師がナプキンの汚れ具合を見てその是非を判断するという、今であれば間違いなくTwitterが炎上するような行為が平然と行われたこともありました。

 

さすがにこのようなことは、ごく稀な事例と信じたいのですが、Sちゃんの作文を読み、「こんな時代があったなあ」と回想しています。

 

時は流れてSちゃんは・・・。

なぜか絶対に行かないと決めていた教育現場にいます。

提出した作文に「教育評論家などというくだらないものにはならないこと。中に入らないとわからないことがあります。」とコメントしてくれた担任のM先生の気持ちが、ようやくわかるようになってきました。

M先生に手紙を書いてみようと思う今日この頃です。

君の人生を変えた夜

「だいじょうぶ!あなたの気持ちはわかったから!とにかく落ち着いて!」

「そんなの信用できるか!何度、オレのことをだました!?そうやって優しく近づいて、結局は自分の思い通りにするんだ!」

「そんなことないわ。私は他の人とは違う!ほら、安心して。私はあなたを助けたいの。少しだけでも私の話を聞いて。」

「だまされるもんか!!!」

一連の騒動の後、私の手に左足を残したまま、彼はおとなしくなりました・・・。

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これは夏のホラーならぬある夜のできごと。

部屋に侵入してきたバッタを外に出そうとしたのですが、暴れた末に彼(バッタ)の左足が取れてしまったのです。
「生まれて初めての経験」に唖然となり、しばらくは声も出ませんでした。

すぐにインターネットで調べると、「命に別状はないが、ジャンプ力が落ちるので外敵からは狙われやすくなる。バッタの平均寿命は約80日だが、野生に返した場合、それよりは短くなる可能性が高い。」とあります。その場で命を奪ってしまった以上に罪悪感にかられてしまい、このまま虫かごを用意して、人(虫)生を全うするまで面倒を見ようとも思ったのですが・・・。

とある昆虫図鑑によると、バッタの足は、敵に襲われたときなどに足だけ残して逃げられるよう、取れやすくなっている、命を取られるくらいなら、足が取れても逃げるため・・・とあります。足と引き換えにしても逃げようとしたならば、虫かごの人生は彼(バッタ)にとって望む世界なのだろうか・・・。

これはやはり本人に決めてもらうしかないと思い、窓を開けると、待ってましたとばかりに飛び立って行きました。

 

カウンセリングや福祉の領域では「自己決定」を重視します。対象となる人(またはその保護者)が選択し、決定していく、支援者の役割はあくまで、そのお手伝いです。
とは言いつつ、立場上、どうしても伝えていかなければならないこともあり、その時の緊張感とプレッシャーには、いつまでたっても慣れることができません。

あの夜のバッタの行く末を案じながら、残暑の厳しさを感じる今日この頃です。