今日、希望のタネを蒔きました

療育現場の所長日記です。

告知②

前回のお話の続きです。

ashikatan.hatenablog.com

私は、子どもの発達問題を扱う際、「様子を見る」という言葉を、単独では使わないように、気をつけています。
それは決して、「今の状況で判断するべき」と考えているから…ではなく、「どの期間」「どの問題が解決する」まで様子を見るのかを添えて使いたいという意図からです。
いろいろな意見はあるかもしれませんが、私自身は「いつかは解決するだろう」といった根拠のない先送りは避けたいという考えです。

その原理に従えば、ここ1か月の経過から「様子を見る」という選択肢はないような気がしてきました。
しかし、もし本当に割れているなら、どうするか・・・。
説明を聞く限り、入れ歯やブリッジがよい治療法とは思えません。
ではインプラント?となると、総合病院での入院も考えたいところ。
入院するなら〇〇病院かなあ、いや、それよりこのコロナ禍で入院受け入れはあるのか?とか、入院するならいつ?さっさとしないと、また落ち着いているコロナが猛威を奮い出す・・・
でも、監査、説明会、お遊戯会、音楽参観、卒園式・・・と様々な業務が浮かんできました。
何より、そんな治療が必要なほど重症で、歯が割れるほど自分の加齢が進んでいるという現状を受け入れることへの抵抗も大きかったと思います。

根拠なく「様子を見る」ことが問題の先送りにしかならないとしても、診断を受けるには勇気がいるという当たり前のことを痛感した瞬間でした。

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