今日、希望のタネを蒔きました

療育現場の所長日記です。

余計なことはいらんから・・・

昨今、新型コロナウイルス感染が拡大し、普段は意識しないことを考える時間が増えました。その一つが「」です。親しい方に看取られることも見送られることもなく、旅立たれる方たちを思うと、一日も早くこの事態が終息することを祈らずにはいられません。

私が最近、一番近くで体験した「死」は1年前、98歳でなくなった父方祖母の死です。大正生まれの気丈な祖母は、3か月ほど床につき、眠るように亡くなったのですが、私は今でもその瞬間を思い出します。

危篤状態と聞き、親族が交代で付き添っていましたが、その日は私が側にいました。もう話すこともできず、半分目を開けた状態の祖母。
回診に来た医師に「(祖母は)苦しくないですか?」と尋ねると、「もう意識はないので、苦しんではいないと思います。点滴をすれば、少し(生きている時間は)延ばせますが、どうされますか。」という答えでした。
元気な時、「今が一番、幸せ。余計なこと(延命)はいらんから。」が口癖だった祖母の言葉を思い出し、「本人が苦しんでいないならかまいません。このままで・・・」と言い、時間を過ごしていました。

夜になり、父や母、親族が集まってくれ、少し気が緩んだ時のことです。
眠っているはずの祖母の息が荒くなりました。
みんなが驚いて側によると、大きく息を吸い込み、動かなくなりました。
ちょっと待って、お父さんを呼んでくる!まだ逝かないで!」と叫び、たまたま外にいた父を、言葉にならない声で呼ぶと、父も察したのか走りこんできました。
「ちょっと、お、か・・・」と父が祖母を揺さぶると、目を閉じていたはずの祖母が目を開けてしっかり父を見たのです。そのあと、ゆっくりと目を閉じた祖母が目覚めることはありませんでした。
まるでドラマのワンシーン、悲しいと言うより、一番愛した息子に看取られた祖母に、「やっぱり、最後まで『今』が一番、幸せだったね」という思いでいっぱいでした。

それからは、あまりの忙しさで記憶がはっきりしません。
私が思い切り泣けたのは、葬儀の朝、まだ誰もいない会場で棺に納められた祖母と二人きりになれた時でした。

人生にはな、裏表がある。表でも油断はするな、裏が出ても悲観するな。
今でも、聞こえてくる祖母の口癖ならぬ遺言を思い出す5月の朝です。

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