「Aさんが亡くなった。」
と風の便りに聞いたのは昨日。Aさんとはもう20年以上、会っていないのですが、今でも私の心に残る素敵なお母さんの一人です。
詳しい話は省略しますが、当時、私はAさんから高校生の子どもさんの進学について相談を受けていました。いつの時代も進路決定にはいろいろな要素があります。まずは当事者の意思、家族(特に親)の思い、能力、そしてお金。これらの条件を合わせて、最後の決断を下さなければなりません。
ある日、進路について迷う娘さんを前に、Aさんは私にこう話し始めました。
「先生、この子が行きたい道に進めるよう、力を貸してください。」と。
彼女は続けてこうも言いました。
「先生、うちには大した財産はないから、よその家とは違って、この子に遺せるものはほとんどないでしょう。」
そんな謙遜を・・・と言いかける私に、
「だから、この子には教育をつけてやりたい。家計は苦しいけれど、私が元気で働いているうちは何とか回せます。私がこの子にしてやれることは教育しかありません。」
その後、Aさんの娘さんは進学し、ある資格を取って就職、その職場からは「よい人に来てもらえてよかった。」という上司の声も聞こえてきました。Aさんが娘さんに遺した「教育」は、一応、実を結んだと言えるでしょう。
Aさんを想うとき、親の役割は何かということを考えさせられます。順当に行けば、親は子どもの一生を最期まで目にすることはできません。どんなに心残りでも、この世に愛しい我が子を残して旅立たなければならない時がきます。
そのとき・・・子どもが路頭に迷わずに生きていくためには何が必要ですか?
そのために・・・親は何ができますか?