温かい南の島に住む○○さまへ
昨日、幼稚園の庭で見つけました。
極寒の中でも、凛としてきれいな花を咲かせていました。
一番暗い時刻は夜明け前、一番寒い時期は春の直前です。
もうすぐ…希望のタネが芽吹きます。
Aちゃん 寒いなあ…
Bちゃん でも寒くても女子!
かわいいスカート、 履いてるやん!
Aちゃん そんな褒め言葉でもうれしいわ。
Bちゃん なんかあった?
Aちゃん まあね…
Bちゃん あっ、これ、食べる!?
(Aちゃんに小さいチョコを差し出す)
Aちゃんの何気ない様子から、彼女の心のざわつきを察したBちゃん。
さりげない褒め言葉で、その心を開きましたが、無理に踏み込むことはしません。
代わりに小さなチョコレートに「大丈夫?心配してるよ、何かあったら言ってね」の気持ちをこめて渡しました。
お見事!プロ顔負けの対応!
相談援助における、ある程度の技術は訓練で身につきます。
けれども上記のBちゃんのように、人の心を開き、絶妙な距離感で相手と関われる天性の力をもった人がいることも事実です。
昨今、国家資格に上場予定の「とある資格」をめぐり、学部卒(大学卒業)に受験資格を与えよう、いやそれでは専門性が培えないから院卒(大学院卒)に、学校だけでは学べないから実務経験もプラスして・・・という論議が続いていたと聞きます。
一定の質を保証するために、資格を与える基準を決めることは大切ですが、相談援助に求められるBちゃんのような「力」をつけるのはそんなに簡単なことではありません。それを保証できるだけの「基準」をどのように定めるのか・・・。
もう何十年も続いている「とある資格」をめぐる論議の着地点に注目する毎日です。
年末年始のテレビ番組はつまらない!と言われて久しくなりました。
どうしても撮り貯めした番組が多いので、同じような内容になってしまうことが原因だと思うのですが、まあ年末年始ぐらい出演者の方にお休みがあっても・・・という気もします。
そんな私の最近のお気に入り番組は「マグロに賭けた男たちシリーズ」。
新年のお笑い番組や新ドラマより、ずっと夢とロマンが感じられ、(動物愛護の視点は別として)毎回、楽しみにしているのです。
たかが「釣り」と侮るなかれ、マグロ漁業はなかなか大変です。エサのつけ方、糸のかけ方、電気ショッカー(マグロを気絶させる道具)をかけるタイミング、マグロを釣り上げる時の針のかけ方、傷をつけずに捕獲する方法など、かなり高度な技術がいります。またマグロを見つける勘や忍耐力、あの冬の荒海で倒れないだけの体力と気力、船酔いしない平衡感覚も必要なのです。
「専門性」が求められるのは、何も大学を出て得られる資格だけではありません。どの職業であってもその道のプロには、知識と経験に基づく高度な技術、忍耐力、体力、気力が求められます。
これからの漁師は厳しいと言った父の反対を押し切り、マグロ漁師になった息子。しかし思うようにいかない日々に、悩む毎日。
そんな息子に対して、父が言った言葉、
「決めたんだったら・・・やって、やって、やり続けんといかん・・・。」
私が長年、書き留めている名言ノート「2017年版」ノミネート決定です!
何が悪かったのかなあ…とか、この失敗の原因は何だろう…と考えてしまうことはありませんか?
とある動物森で、シマリスさんは今日も深いため息をついています。
大好きな蛇弐図パン屋で、このお店の看板ボーイである5匹組のお兄ちゃんたちがけんかして、パンを焼くグループを解散するといううわさが流れていたからです。
木の葉出版の「女子自身」によると、「蛇弐図」パンで、お兄ちゃんたちに仕事を教えてくれたイノシシのお姉さんが、自分のお店を持とうとしたことにあるそうです。
イノシシのお姉さんと仲の良かった5匹組のお兄ちゃん(通称:あにまっぷる)たちが、お姉さんについていく、行かないでもめ始めたと、書かれていました。
大きなはさみでどんな苦難も断ち切るリーダーのなかにくん、
クールボーイくまごろちゃん、
朝ごはんのアイドルママ役もこなしたことりくん、
グループの調整役うさなぎくん・・・の4匹はイノシシのお姉さんと一緒に新しいお店を作ることを考えましたが、数々の○○男に選ばれている、きむらくだくん(略してきむらく)だけは反対でした。
結局は、きむらくが「蛇弐図」の店長、ジャガーさんに頼み、森の公民館の舞台で5匹が「やっぱり、あにまっぷるとして蛇弐図でパンを焼き続けます」宣言をさせてもらったのですが、森のみんなは、なぜかしっくりきませんでした。
それどころか、「きむらく、自分だけいカッコしてる!」という批判が集まっていると、木の皮出版「週刊過去」には書かれていました。
一瞬、パンを焼き続けるかに見えた、あにまっぷるですが、「ABRA」という雑誌によると、5匹の溝ばかりが強調されています。結局、年末恒例の「紅白パン焼き合戦」にも出ることなく、森の掲示板に簡単な挨拶だけを貼り、5人のパン作りグループは解散となってしまいました。
気がつくとシマリスさんの隣に、仲良しの長老、ふくろうおじさんが座っていました。
いいかシマリス、今回のグループ解散の背景には、29回の軽い行き違いがあり、その背景には大きなトラブルには至らなかったが、誰しもがヒヤリとする300回の瞬間があったはずだ(ハインリッヒの法則)。イノシシのお姉さんがいなくなったことはきっかけであり、彼らがバラバラになってしまった原因ではない。
そして最後に長老ふくろうは、意味ありげなほほ笑みを浮かべてこう言いました。
それにしても・・・この事件で一番損をし、一番得をしたのは誰なんじゃろうなあ・・・。
まあ、確かに言えるのは、もう我々は、彼らの作ったパンを、食べることができなくなってしまったということだがなあ…。
※ハインリッヒの法則
労働災害における経験則の一つ。1つの重大事故の背後には29の軽微な事故があり、その背景には300の異常が存在するという。
前回はエビデンスの重要性について、書きました。しかし残念なことに、どれだけ研究されて導かれたエビデンスでも、世の中に絶対とか永遠はありません。
年末の時期、つい片付けの手を休めて、本を読んでいます。これは、今から20年くらい前に発売されたものですが、私の臨床への意識を大きく変化させてくれた大切な書籍です。
あの頃、なるほど!と感じさせられる内容で、私自身、参考にすることが多かったのですが、久々に読むと「あれ⁉︎」と感じる部分が多く、少し戸惑いました。
著者は大学の先生(多数は心理士)方々で、事例に上がってきている症例は、「不登校」や「いじめ」、「ストレス」や「職場での不適応」が大半です。
当時それらは「心の問題」として扱われていましたが、今であれば、良し悪しは別として、間違いなく「発達障害」としての対応がなされる症例が多い気がしました。
「心の専門家」として心理士が注目を集め、少子化に悩む大学が臨床バブルと揶揄されるほど、競い合って心理学科を作りはじめた頃からはや20年。
しばらくすると「心の問題」の背景には「発達障害(脳の機能不全)」が潜むと言われ始め、カウンセリング、絵画・箱庭療法、性格(人格)検査よりも発達相談、発達検査を重点的に取り扱う大学も出始めたと聞きます。
例えば以前は自閉症が「親の育て方」が原因で起こると信じられていました。今、そんなことを主張する専門家はいないと思いますが、このように、時代とともに「心」や「発達」におけるエビデンス(化学的根拠)も変わるかもしれない…ことは常に意識しておかなくてはと感じた読書時間でした。
ネット上で静かな話題になっているカライドサイクル(折り紙の万華鏡)を作りました。
くるくると形が変わるおもしろいおもちゃです。年明けに支援センターデビュー予定です。
ユニット折り紙は、一つひとつのパーツは単純な作りですが、組み立てになると説明図も作り方動画もアテにならないことが多い(私が読み取れないだけ?>_<)。
特に複雑な作品は折り目が多く、折る位置さえわからなくなる…。しかし、パーツさえ基本に忠実にしっかり折っておくと(ここが一番大切!)、後は「タイミング」の問題で、気づいたらできていた!というのが正直な感想です。
今はエビデンス(証拠、根拠)という言葉を聞くことが多くなり、医療も療育や教育も科学的根拠に基づいて行うことが主流です。
例えば「集団療育」の名の下に、子どもたちを好きなように遊ばせるだけ…というやり方には私も疑問を感じています。
子どもを集団で過ごさせたら自然にできることが増えるというのは大きな間違いです。
集団の中で伸びていくのは子どものどのような能力で、それはなぜなのか、集団で伸びにくいのはどの部分か、そもそも集団で過ごすにはどのような前提条件があるのか、ということを把握し、保護者と一緒に考えていかなければ、専門的な療育はできません。
エビデンスに基づいた療育の先に、何かのふとした「タイミング」で見せてくれる子どもたちの「奇跡」がある…そんなことを考える午後のひとときです。
追伸
ただいま、カライドサイクルの最難関(花火)に挑戦中です。
よかったらご一緒に^_^。
追記
完成しました!