今日、希望のタネを蒔きました

療育現場の所長日記です。

私にとってはよくないの!

先日、ある本を買ったら、ペラペラで汚れやすく折れやすい表紙でした。折り目や汚れがつくと読む気をなくすと思ったので、図書館の本のようにビニールでコーティングしてみました。しかしうまく貼れず、特に端のビニールがかなり余った状態でくっついてしまい、仕方なくハサミではみ出した部分をチョキチョキ・・・。
すると、今度はそこがギザギザになり、買い直した方がいいかも?と思うほど、どんよりした気分になりました。

その時、ふと思い出したのが「私にとってはよくないの!」が口癖のももちゃん(仮名)のことです。彼女にはいろいろなこだわりがあるのですが、周囲の人に「同じことばかり言わないで!」、「もう終わったことでしょ?」という態度をとられ、わかってもらえないというイラ立ちと悲しみで、気持ちがふさいでしまうという、生きづらさを抱えていました。
正直、かかわることが難しいと感じたこともありましたが、今回のどんよりした気分を通して、あらためて人間には「他者にとってどうでもよいことだけど、自分にとってどうでもよくないこと」があることに気づかされました。

そうそう、その本の後日談ですが・・・。
(それなりの値段だったということは、さておき)地球のごみを増やさないために、買い直しはあきらめ、ギザギザになった端の部分をマスキングテープで補強してみました。

無事、目を通す気になり、めでたし、めでたし!

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メッセージをお願いします。

「赤いのはよく見かけるけど、白いのは珍しいから、植え替えとくで~。」と幼稚園の技師の方が園庭に移してくれました。

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彼岸花はお彼岸の頃に咲き、昔は墓場付近でよく見られたことに関連するのか、「再会」や「また会う日まで」といった花言葉があるそうです。

生きる時間に比例して「別れ」の回数は増えていきます。この世を離れていった人、(意図するか否かは別として)いつの間にか会えなくなった人・・・。

もしも願いが叶うなら、今一度、会いたい人は誰ですか?
もしも願いが叶ったら、伝えたいことは何ですか?

彼岸に咲いた夏の花

国民の祝日に関する法律によると、秋分の日は「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ日」。
暑い寒いと不満をこぼす度、「寒さ暑さも彼岸まで」と諭してくれていた亡き祖父母の墓にそっと手を合わせると、真っ赤な彼岸花の横に、季節外れのひまわりが咲いていました。

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猛暑に咲くひまわりは、迷いなく太陽を見つめて大きな大輪の花を開かせます。
それに比べて、お彼岸に咲くひまわりは、自分の季節が終わることを知りつつ、最後の力をこめて花を開かせる「はかなさと強さ」を持っているように見えました。

迷いなく進む力と自分の置かれた状況を受け止める力、生きていく上ではどちらも必要な気がします。

涙くんさよなら

最近、オカリナの練習を始めました。
ピアノとは異なり、単音で演奏できるこの楽器はなかなかの優れものです。
先日、昭和の名曲特集のような楽譜を見ていて、こんな歌詞を見つけました。

君は僕の友達だ
この世は悲しいことだらけ
君なしではとても生きていけそうもない・・・

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この年代がバレてしまうくらい昔のドラマのテーマソングによると、人間と涙(泣くこと)は切っても切れない縁があるようです。
涙にはロイシン・エンケファリンという成分が含まれており、これには心身の苦痛を和らげる効果があると言われています。だからどうしようもなく辛いときは、歯を食いしばって苦難に立ち向かうよりも、泣いてしまう方が楽になれるかもしれません。

その涙に素敵な音が添えられるよう(隣室からの苦情におびえながら ´艸`)、高音のロングトーンに励む秋の夜です。

9月1日という鬼門

朝夕、涼しい風を感じる季節になりました。
今日9月1日は、2学期の初日。多くの学校では、子どもたちの元気な声がこだましたと思います。

しかし一方、内閣府の調査によると「夏休み明け」となる9月1日に自殺する子が多いとのことで、著名人や動物園、文科省大臣までが自殺防止を呼び掛ける有様・・・。今日が日本の教育界における「鬼門」日であることを、あらためて感じさせられました。

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人にはそれぞれの思いがあります。
それを理解しようとすることは大切ですが、『理解してあげた』つもりという支援は、実は最も危険であるような気もします。
逃げてもいいよ!周囲にはわかってくれる人がいる!生きていたらいいことがある!と訴えたところで、当事者本人にとっては本当に逃げ場もなく、わかってくれる人もいない場合があります。ましてや自分の未来さえ見えないのに、会ったこともない子どもの未来を保証することができるのかは疑問です。だから上記のような言葉を使うときには注意が必要だと思うのは、少し意地悪な見方でしょうか

以前、まだ駆け出しだった私に「太陽に暗闇の暗さはわからない!」と言ったAさん。身体・精神的にかなり厳しい状態で生活していたその人に何ができたのか・・・。おそらくそれと同じ心境で自殺を選ぶ子どもたちに何ができるのか・・・そんなことを考る始業式の日です。

「慣れ」と「それなり」の大切さ

先日、幼稚園関係の全国大会に出席してきました。

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大会の内容は別の機会に譲りますが、辺りを見渡すと、名刺を配り歩いて情報収集し、人脈を広げようとする人、知り合いを見つけて話し込む人、黙々とスマホ操作にいそしむ人、などなど・・・。

このような場面を見ると、初めての場所は苦手、大勢の中で自分の立ち位置を見つけることができない!と言っていたAちゃんのことを思い出します。
彼女はまじめで賢い子なのですが、新しい人間関係を築くことが苦手です。長いときは4月にクラス替えをして、話せる人ができたのが3月という時もありました。新しい環境に置かれるたび、不眠や頭痛、動悸を訴えるということがここ何年か続いています。

それぞれの人がもつ「特性」を変えることはなかなかできません。私自身、この手の会につきもののグループワークは大の苦手です。~についての話し合いも嫌いですし、手遊びなど実技系の課題になると一気にブルー。
特に大半の保育関係者が醸し出す雰囲気(明るく、元気よく、人見知りしない)を残念ながら私は持ち合わせておらず、何年たってもなじむことができません。そうは言いつつも何回もその場面に置かれるにつれて、慣れてきたのか「それなりに」過ごすことができるようにはなってきました。ちなみに心理学ではこの現象(ある刺激がくり返されることによって、その刺激に対する反応が消えていくこと)を「馴化」と呼びます。

Aちゃんへ
特別な努力はいりません。ただ、与えられた苦手な場面から逃げないこと・・・これが、馴化」の条件です。